1968-04-01 第58回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号
残念ながらというのは少し語弊があるわけでございますが、そういうことによって日本の国際競争力が強まる可能性がないというふうに、逆の例を考えてまいりますと、私どもはかつての子供のころには十円札を持ちますと、「此券引換に金貨拾円相渡可申候也」と書いて、日本銀行総裁の印が押してあったものでございますが、こういう時代とは現在は変わってきております。
残念ながらというのは少し語弊があるわけでございますが、そういうことによって日本の国際競争力が強まる可能性がないというふうに、逆の例を考えてまいりますと、私どもはかつての子供のころには十円札を持ちますと、「此券引換に金貨拾円相渡可申候也」と書いて、日本銀行総裁の印が押してあったものでございますが、こういう時代とは現在は変わってきております。
そのときの美濃紙に書いた文書の中には、「電話の譲受・譲渡の周旋、秘密に抵当・貸金を取扱申候、売口、買口御紹介の方には金五円也進呈、芝区柴井町二一内海商店」——この内海商店というのが初めて日本で電話の売買を始めた。そういうふうな歴史的な経過があるのですね。質権が設定できないから加入権を担保にして金を借りる、そのことによっていろいろな弊害があった。
五年之内店賃為相納可申候。」地主も同じでありまして、それが蔵を持っておるだけの家主であるか、あるいは地主であれば、その土地なり家屋なりその人の持っている土地、家屋を五年間取り上げて、その賃借料の地代なり家賃を罰金にかえると、こういうのであります。それから「五人組。」「名主。」はそういう隠売女があればそれを直ちに訴えなければならんという触れ書がたびたび出ております。
熱海市田原本町一八六 牛田喜三郎 謹啓 春暖之候に相成申候御社益々御清祥奉賀候 今般は旧国際電気通信株式会社関与の件に付多大の御考慮御配意被下吾々株主に対する権利の為御動き被下事厚く御礼申上候 拙者事国際電気通信株式会社創立当時相当多額のプレミヤムを払つて持株以来堅実資産株として大切に今日迄持続致し居候如何に戦争の犠牲とは言へ今日の様に整理別会社として持株せる株価のみじめさ
○カニエ邦彦君 そうすると、大橋君が昭和二十四年六月一日に自分の直筆を以て、モーリス自動車一台見積価格百万円処分方小生において引受け御預申候という預り証を田中に渡しているのですが、それは当時足利の高橋でなく、田中が事実上この自動車の権限を握つておつた。
「此むめと申す女子当年拾七才に相成候処、我等の実の娘に御座候、年々不如意に付難儀仕候、然るところ貴殿前々より御懇意の好身に付、先般相頼み候処早速御承知下され御世話を以て舘売下女奉公相済せ前借金御依頼申入候処身代金正拾参両慥に受取申候然る上はむめの一身については如何様なりとも貴殿の御随意たるは勿論横合より故障申す者は一人も御座なく候、若しとやかく申すもの有之候はば我等何方迄も罷出で、きつと埒明かせ、貴殿
「前略種々御心配おかけいたし恐縮に存じ候、却て御迷惑に相成候ではと存じ小生より差控へ申候間御心配被下まじく候、切に堂々たる政治家として御大成祈り申候拝具」私はこのように來ました金については最大の吟味を拂つております。
「拜啓其の後は御無音に打過ぎ申候へ共御変りも御座無候や小生儀此度ある事情の為此の世を去る。元より自死の罪惡なる事は万々承知致し居り候へ共何とも致し方無之候、唯々残念なは君をして今一度來る市会改選の時犬馬の労を取らず行く小生の心御察し下され度。
には全然無之旨判明し農業會側は只只唖然たらざるを得ず候 即ち今日迄實に六ケ月の長きに亙り先生屡次の言明竝に先生が政府當局の衝に當られある公人として全責任を以て四大臣の名をさへも連ねられたる拂下指令書第一號(宇都宮)を信じ山形縣七十萬の農民を督勵鞭撻し本年こそは眞に責任ある政府高官の非常措置なる事を知らしめ凡有の惡條件を克服して供米を促進せしめたるに、結局政府の公約は再び虚偽にして欺瞞なりし事と相成申候